みなさま、こんにちは。
整骨院自費導入アカデミー主催の松村です。
今日のブログは長いです、申し訳ありませんm(_ _)m
先日、ある柔整・鍼灸専門学校の営業の方がうちの院に来られました。
お話しをお伺いしていると、その方は鍼灸師、しかも同じ明治出身、そして私が鍼灸1年生の時に鍼灸3年生という、ほぼ同時期に同じ学校で学んだ方でした。
で、色々とお話ししていて、柔整学校の話になりました。
私がこの業界に入った頃は、柔整に入るためにはまず鍼灸から入らないといけないという状態で、しかも寄付金を払わなければ東大生でも落ちるといわれる、ある意味では超難関、狭き門でした。
私も、鍼灸、柔整両方で高い寄付金を払ったものです。
鍼灸を卒業し、柔整入学。
時代はそこから変わりました。
私が柔整1年生の時に、国が裁判に負け、福岡柔整ができました。
我々の時代は、学校に入れてもらうことを条件に、在学期間中の丁稚奉公が当たり前の時代でした。
初任給は1万円。
今でも初めての給料袋をいただいた時のことはよく覚えています。
あまりの封筒の薄さに
「振込だったかな?」
と思いましたから。
そもそも、整骨院に入る際に労働条件など提示されませんでした。
朝早くから院の掃除、受付開始したらたくさんの患者さんをマッサージし、昼に専門学校に行き、学校から帰ってきてすぐに整骨院で夜まで働き、受付終了後は包帯を巻いては、巻き方が下手だとやり直しをさせられ、マッサージの練習をし、毎日深夜まで院にいたものです。
今では考えられないことですが、当時勤務していたところはマッサージが主体であったため、ギックリ腰ですらマッサージしておりました。
経験は少ない、技術はマッサージだけですが、結果は求められます。
当時は、
「少しでも良いから、来たときよりも絶対に楽にして帰ってもらえ」
と言われました。
しかも・・・・・
「治療時間は10分以内で!」
という、タイムリミット付き。
腹斜筋をほぐしたり、ハムストをほぐしたりしながら会話も頑張って、なんとか納得していただき、帰っていただく。
そして、そういう患者さんは治るまで責任持って診ていかないといけないので、少しでも痛みが和らぐような努力をするし、自分の当時知りうる限りの知識を総動員して生活指導もして、自宅でも治す努力をしてもらう・・・・
そういうことをやっていました。
もし途中で
「あの先生にやってもらっても治らへんから変えて」
なんて言われたら、その患者さんのことは二度と触らせてもらえないですし、当時は罰として少しの間雑用に格下げという制度?のようなものがありました。
だから必死です。
腕もない、経験もない、だからとりあえず毎日一生懸命頑張るしかない。
当時は、治療のノウハウも少なかったですし、セミナーもあまりありませんでした。
もちろん問診なんてものにノウハウもないので、新患が来たら、患者さんをマッサージしながら、当時の院長の問診をしっかり聞いて、あとで
「なんであの質問をしたんですか?」
などと質問しては
「そんなのもわからへんのは勉強不足や」
で一蹴されてました。
そんな頃から時代はかわり、治療テクニックのセミナーや問診等のコミュニケーションセミナーは巷にあふれ、ノウハウはある程度安価で、簡単に手に入る時代になりました。
私はずっと悔しい想いを抱き続けておりました。
誰でも簡単に柔整学校に入ることができるこの時代、そして健康保険が厳しすぎるこの時代、私が当時目標にした開業とはかけ離れたこの時代、そして整骨院という事業の変化・・・・・
「俺たちが苦労したのはなんだったんだ」
「無理して寄付金を払って、奨学金まで借りて学校に行ったのに」
「俺の世代はいつも損ばかりだ」
そう思ってました。
そう、私の世代は就職氷河期の最初。
大学に入るまで偏差値教育。
いざ就職活動をする時は
「人間性を見る」
とか言われて、勉強頑張ってた人も不採用の連続。
あ、ちなみに私が高校2年までは
「練習中に水を飲むな」
と言われていて、隠れて水を飲んでいるのがバレると先輩や監督にドつきまわされておりましたが、私が3年生になった時に
「水分補給が大切だ」
となり、1年生が当たり前のように水を飲んでいるのを見て、ハラワタが煮えくり返る思いをしていました。
そういう時代の変換期に身を置き、自分の不遇を恨んでいました。
話を業界に戻すと、我々の時代はマニュアルもない、教えててもくれない、ないないずくしの環境の中で、何が磨かれたのかを考えてみました。
それは、
「感性」
なんじゃないでしょうか?
理屈だけじゃなく、患者さんの身体を診て
「ん?腰が痛いって言ってるけど、なんか違うぞ」
というような、『勘』のようなものが働くようになります。
また、当時は
「クレーム許すまじ」
という感じでしたので、いかに患者さんの意を汲んで、隠れたニーズを満たすことができるかというのがとっても大切ですし、自然にできるようになりました。
私が現場でやっていることのベースは、その時に育まれたもので、私よりも先輩になる世代の先生はみな当たり前のように身につけておられることです。
もちろん、人間性等の問題もありますので、全員というわけではありませんが。
この患者さんはなぜうち(院)に来たのか?
何を望んでいるのか?
どうなりたいと思っているのか?
などという心の部分と、実際に身体を診て、身体の持ち主である患者さんの心と身体のギャップを埋めつつ治療という技術を通して合致させていくということをやります。
巷で、わけのわからないコンサルタントが
「2回リピート率90%の秘訣教えます!」
とかキャッチコピーで書いてあっても、私的にはむしろ
「え?90%しかないの?」
としか思えませんでした。
うちでは2回リピートだけならよほどこちらからお断りするような質の悪い患者さん以外は全員リピートします。
それが普通だと思っていました。
では、話を冒頭に戻します。
私より上の世代の先生は、柔整学校に入るまで相当の我慢と努力を強いられてきました。
ある専門学校の営業の方が来られて、そういう話になって言われたこと、それは・・・・
「あ〜、苦労されてた世代なんですね。じゃ、腕は確かですね。」
でした。
よくよく話をしていると、簡単に柔整学校にホイホイと入って、どこかの整骨院で弟子ではなく従業員として入って、初任給から数万円もらって、すでに院にマニュアルがあって、数ヶ月から1年ほどで、院の中ではそこそこの戦力になってしまうような環境では、その「感性」が磨かれないということなんですね。
そして、そういう先生は自分の院でも同じようにマニュアルを作り、スタッフ育成していく。
そう、ラーメン屋がチェーン展開やFC展開して味が落ちていくように、どんどん劣化していくのです。
そもそも、私が業界に入った約20年前は、開業する先生といったら、修業してた院ではエース級の存在で、最低でもそのレベルにならない限りは開業できないという風潮でした。
だから開業を目指す人間は、開業までのステップとしてまずそこを目指したものです。
だから、劣化などすることもなく、逆にどんどん濃厚になっていくものでした。
我々世代が味わった苦労も無駄ではなかったということを認識できた瞬間でした。
では、その営業の方が言われた「腕」とはどういうことなんでしょうか?
「腕」とは、技術ではないということは、今まで書いてあることを読んでいただけるとわかると思います。
もちろん技術も「腕」というカテゴリーの中の大切な要素のひとつではあります。
しかし、技術を提供するために必要な診断能力も大切です。
その診断能力とは、徒手検査であったり、筋力テストやROM検査という医学的なものだけではありません。
患者さんの「意」を汲むというのでしょうか?
言わば、究極のホスピタリティが必要なんだと思います。
最近私が読んだ『巡るサービス』という本の中に、ホスピタリティをマニュアル化すると、それはホスピタリティではなくサービスになってしまうということが書かれていました。
まさにそうなんだと思います。
時には患者さんに厳しい事を言うこともあります。
患者さんのわがままをなんでも「はいはい」と聞くのは医療ではありませんよね?
そういう、総合力が「腕」というものなんだと思うのです。
我々の業界も、たくさんのコンサルタントいう方々が入ってこられています。
我々と同じ業種どころか、全く医療と関係ない人がコンサルしている場合もあります。
もちろん閉鎖的なこの業界にとって、世間の常識という風を入れるのはいいことだと思います。
しかし、そういうコンサルはすぐにこう言います。
「流行る流行らないは腕じゃない。腕のない先生でも流行らせることはできる」
と。
できるかできないかというと、できてしまいます。
しかし、それ自体がもはや罪ではないでしょうか?
外科医の腕が悪かったらどうでしょう?
患者さん、下手すりゃ死んじゃいますよね?
我々は命までは預からないかもしれません。
でも、大切な身体を預かるという点では、命を預かることと責任は同じはずですよね。
まず、我々側の立場でいうなら、腕のないことがすでに罪です。
もちろん、初めはみな「腕」はありません。
でも、最低限の「腕」を身につけるまで開業するべきではないんです。
その「腕」がないのに、ノウハウだけで開業して、患者さんを集めるということは、極論で言うと、患者さんを騙すということです。
そういう人がちょっと成果を上げてしまって、胡散臭いコンサルの言うことを鵜呑みにして
「腕じゃないよ」
なんて言うもんだから悲惨です。
また「腕」の定義が技術だけというならば確かに腕じゃないと思います。
でも、それすらも、技術というものに偏る時期があり、頭を打って「やっぱ技術だけちゃうよな〜」という経験をした先生が
「技術じゃないよ」
というならわかります。
そんな経験してない先生や、それどころか我々の業種でもない、他の職人でもないような人間が、簡単に、市場の原理だけで
「技術じゃない」
というのは、間違っています。
大切なのはプロセスなんです。
ひとつの技術にこだわり、追求し、限界を感じ、勉強し、練習し、高め、また壁にあたり・・・・
そんなことを繰り返していくうちに、「あ、技術だけじゃないんだな」と自分で気付く。
そういうプロセスを若い先生も踏んでいくべきです。
武道の世界では「居着く」という言葉があります。
打ってやろう、投げてやろう、倒してやろう・・・と強く思っている状態の時は、心が居着いてしまい、身動きが取れなくなる。
だから、その「居着き」をなくすことが武道の極意のような感じで言われています。
でも、達人は最初から居着いていなかったのでしょうか?
違います。
勝ちたくても勝てない。技を磨き、体力をつけ、それでも勝てない・・・・
そんなプロセスを経て、「居着き」を無くすことができたのでしょう。
武道をしていない人が「居着いてはいけない」なんて言っても、ま〜ったく説得力ないですよね?
居着いてるレベルの武道家に簡単に倒されちゃいますよ。
同じですよね。
だから、そんな経験をしたことがない人が、「技術じゃない」なんていうのは、無礼千万!!!
また流行る、流行らない、要するに、儲かる、儲からないだけで評価していい業界ではないんですよ、医療業界は。
まあ本当は医療業界に限らずとも、どの業界でも同じだと思うのですが。
私は「腕」という定義は、技術力も含めたホスピタリティ能力だと思っております。
その定義でいくなら、やはり最終的にマーケティングやノウハウセミナーに参加せずとも、良い患者さんが集まって、自分にとっても患者さんにとっても良い院を作り、継続していくために必要なものは、やはり「腕」なんだと思います。
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